春は筍、大きいものはゆでるのも大儀。小ぶりのもの3本800円というのを買う。
このところ筍を自分でゆでることなしに2年過ごしたが、今年は早々に筍おこわを
炊いてくれた方がいて、自分でも料理したくなったのだ。
家じゅうで一番大きな鍋を用意して、ぬかとトウガラシを入れてゆで始めたのが
既に午後7時近く。結局夜中になってゆであがった筍をきれいに整えて冷蔵庫へ。
翌朝、筍をバター焼きして、しょうゆをたらし、鰹節と木の芽をその上に。穂先の
柔らかいところは四万十の青のりと味噌汁にして、パン食にも季節感を添えた。
昼はさいの目に切った筍とご飯でチャーハンに。バターと酒としょうゆで味付け。
木の芽をおおめに散らして、春の香りごとほおばった。
筍の下ごしらえをすると、楽しかった小さい頃をいつも思い出す。面白がって皮を
むきすぎたり、薄皮で梅干しをくるんでしゃぶったり、家族みんなで大騒ぎしなが
ら準備したものだった。
いまはどうだろう。洒落た料理屋でもったいぶって、「旬の筍でございます」なん
供されれば、「いいねえ」と訳知り顔で食べるのだろうが、主婦がこの時期を逃す
まいと筍と格闘したって、夫も息子も我関せず。拍子抜けというより、本人たちが
可愛そうになってくる。
筍のあく、木の芽のほろ苦さがちょっと胸につかえた気がしたのも、ただ春の味わ
いというだけではなさそうだ。
2019.4.17