平成が終わる

男の時代はこの平成でおわりにしたい。
女がつまらないことで男と戦っては疲れる日々はもうやめて
どの年代においても、ただ普通にシンプルにコミュニケーションがとれて協力しあえる。
次の時代はそうならなくては、と思う。

改元をめぐる狂騒にはうんざりだったが、
自分の30年を振り返るとほんとうに感慨深い。

平成になったとき、銀行の秘書課にいて、すでに結婚もしていた。
当時はまだ、結婚するときに仕事を続けていいか、相手に聞くような時代だった気がする。
そして結婚して生活が変わるのはほぼ女性だけ。
単純に、一人にだけ家事という仕事がふえる。
それも当たり前だとおもって、たくさん朝食を用意したりしていたものだ。
職場では女性には名刺もなくて、
秘書の仕事で必要だからとボスに直訴して作ってもらったりした。
ただ当時まだ均等法もないころで女性の中の格差がなく、
それが幸いしてかなり仕事を任せてもらっていた。
それでも男性秘書がボスの出張に随行してでかけるのを見送るたび、
自分はいつまでも「留守番役」なのだと悔しい思いをしていた。

それから雇用機会均等法ができて、数年後に総合職となり
子供もできて育児休業法の施行2年目に1年休職した。
そのころも保育園を探すのは大変だった。
年度はじめからフルタイムなら入りやすかったが
諸事情から7月に1か月で探さなければならなくなり、どこに行っても断られ、
なんと理不尽な、と泣いていたものだ。
結局、24時間預かってくれる民間保育ルームにお願いし、翌年4月から保育園に通った。
当時は5時が定時、延長保育も6時まで。母や友人、シッターにどれだけ助けて
もらったことだろう。
さすがに最近は保育園も充実してきたようだが、この問題に関して、ほとんど女性だけが
苦しんできたのをみると旧態依然の日本社会に憤りを通り越してあきれてしまう。

子供が小学校に入学するときに退職した。
会社員としての収入を失った後、どういう風に充実した人生を送っていくのか、
本当は何をしたいのかを考え続けてきた日々だったと思う。
平成の30年間、前半は会社という社会生活のなかでのチャレンジに、後半は個人の生きがいへの
チャレンジに費やしてきたといえるかもしれない。
そのなかでは、うまくいかないことも多くて、悩んだり、ハイになっては落ち込んだり。
怒ってばかりいたこともあった。

だれでもそうだと思うけれど、30年というのはやはり長いし重い。
せっかくの改元という区切り、降り積もった過去のネガティブな感情を浄化して
新鮮な気持ちで人生に取り組むきっかけにしたいと思っている。

 

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