1961年横浜生まれ。
幼少時より絵や音楽に親しむ。横浜国立大学教育学部で哲学や倫理学を学ぶ。銀行に就職するも、将来の展望に限界を感じて退職、念願だった声楽の勉強を開始。
その後は書、絵、短歌と活動を広げ、個展中心にジャンルに捉われない自由な活動を行う。
豊かな生命力やエネルギーと同時に遊びややすらぎが感じられるような表現を目指している。
2013年 二人展「ガラスと書のコラボレーション ~好きなことを好きなように~」 於 衎芸館
2016年 初個展「Childlikeness ~子供のように無心に。想像力をかきたてて。~」 於 衎芸館
2017年 自作短歌の書「自詠自書」グループ展 於 すぎなみ詩歌館
Expierence Suginami “Japan Culture Workshop”「外国人向け書道ワークショップ」講師
天斿(てんゆう)とは…。
空に自由に遊ぶ、あるいは天に任せて遊ぶ、というイメージで自分の号にしている。
「斿」は「遊」「游」の一番古い字でどれも同じ字とされる。
「斿」には一族みんなで旅に出かけるときの「幟(のぼり)」という原義があって楽しい。
古来、遊びは「詩歌管弦をたしなむ」ことも示すので、私にはちょうどいい。
また「遊於娑婆世界(ゆうおしゃばせかい)」という言葉が「観音経」にある。観音様にとって、人を救うのは仕事であると同時に遊びであるという。この考えも大好きだ。
ちょっと心情吐露的ないきさつ・・・どうしてこんなにたくさんのことをやっているのか?
祖父母、両親、二人の兄の七人家族に生まれた。家は商売で忙しく、自然にひとり遊びに長け、塗り絵や紙切り、お絵かき、童話のレコードでなどで一日を過ごしていた。小学生になると小唄や民謡、習字にピアノと稽古ごとに勤しみ、兄たちからは洋楽の影響を受ける。両親は子供たちににいい教育を受けさせたい一心で体を壊すほど働いていた。もちろん、祖父母も我々子供たちも立派な戦力。かなりタフな家庭環境で、結局誰も家業は継ぐことはなかった。絵や音楽は得意でも進路に選ぶ自信がもてず、それなら早く自立しようと、地元の大学を経て銀行に就職した。
39歳で転機が訪れる。子育てや家事と仕事の両立に心身ともに疲弊していたとき、オペラの先生に出会った。
ちょうど夫の熊本への転勤も重なり、悩んだ末に退職。せっかくなら、それまでとは一変した生き方をしようと考えた。
保育園やシッターに長時間預けてきた息子との時間を持つこと。声楽を悔いないように学ぶこと。
笑われそうだが、自分のコンサートを開けるようなプロになりたいと真剣に思っていた。
市民オペラや子供向けのオペラに出たりコンサートに参加したりするようになったが、そう簡単に歌手活動できるわけではない。
7年ほどのレッスン三昧を大きく縮小して、そのころ始めたアロマテラピーの仕事と家事にウエイトをシフトしていった。
45歳。今度は書道の先生に出会う。小さいときに書道の素質を認められていたが、それも30年以上も前のこと。懐かしさから筆を持った。
ところが始めてみるとのめりこんでしまい、書家を目指して奮闘。しかしこれもすんなりとはいかず、数年後には先生と離れて独学の道に…。
臨書の会を開いたり水墨画をかじったりしながら模索の日々を続けるうち、個展活動に活路を見出すようになる。
52歳。思い切って友人のガラス作家とコラボ展を開催。そのときにデッサンの先生との出会いがあり、絵を習い始める。
デッサンからパステル、いろいろな素材を使ったミクストメディア、コラージュなど、自由に表現する楽しさに夢中になった。
54歳。和歌の理解を深めようと杉並区の短歌講座に参加。短歌には気負いがないせいか先生や仲間に恵まれゆったりと楽しめている。
55歳。それまでの活動を総括する形で初めての個展を開催。
56歳。歌手活動を始め、個展開催期間中のコンサートを企画中。
なぜここまで表現することに執着することになったのか…。
その背景には、仕事を続けるつもりだった自分が家庭に入ったことがある。
母親役もほぼ終わった45歳くらいから徐々に自分の存在意義を見失ってしまい、何をどうしたらいいか、悩み続けた。
無欲になれば解決するかと禅やヨガの思想を学んでみたり、文章を書いてみたり、いろいろな仕事も試したけれど、結局自分の子供時代に回帰することが一番の処方箋だった。本当に得意なこと、好きなこと、やりたいことは何だろう、と自分に問いかけた。その答えがいまの活動である。なんと遠回りをしてきたことだろう!
この先またどう変化していくかはわからないが、もう悩んでる暇はないので自分を信じて取り組んでいきたいと思う。目まぐるしい変化のなかで、体調を崩すことも多かった。そんなときの力強い支えがアロマテラピーと声楽の呼吸法。なにごとも無駄なことはないのだなとつくづく思う。
父も母もいろいろな芸術的素養をもっていた。そこからたくさんのものを授けてくれたし、習い事や珍しい経験をさせてくれた。また突飛な行動に出る私をいつも暖かく見守ってくれる家族や友人がいる。あらためて感謝したい。
出会いのままに続けてきた美術や音楽は、いままさに生きるエネルギーになっている。こんな経験を語るのも少しは人の役に立つかもしれないと書いてみた。そして、これから先、自分の表現が周りに楽しさやエネルギーを与えることになったら本当にうれしい。
歌についても紆余曲折があったが、クラシック一辺倒からジャズやシャンソンへと勉強を広げている。いい歌が歌えるようになるには時間がかかるだろうがあきらめずに続けたい。
小さい時からの、歌にまつわる妙な縁、また声楽を始めてからの奮闘については連載エッセイに書いていくので、こちらもご覧いただければ幸いである。
好きな食べ物はうなぎ。
好きな歌手はマリア・カラスとエラ・フィッツジェラルド、バルバラ。
好きな画家はピカソとマティス。