藤田嗣治展を観て

自分のこれまでの人生のなかで、「点」としてときおり現れてきた「FOUJITA」が美しい1本の線につながった。そんな感慨を得た展覧会だった。はじめて藤田の絵を観たのは大学生のとき。旅行で訪れた秋田県立美術館での「秋田の祭り」だ。その時、私に生まれたのは巨大壁画を一人で描き上げる画家の仕事というものへの驚きと畏敬の念だった。この絵が特に好きになったわけではなかったが、「藤田嗣治」の名前とともに脳裏に焼き付いたのだからやはり素晴らしい、力のある絵なのだと思う。次に出合ったのは彼の戦争記録絵画で、「アッツ島玉砕」を外苑前の絵画館で観た気がするのだが、記憶が定かではない。夫の転勤に伴って弘前に1年住み、東京に戻って東郷神社の近くに住んでいたころだから29~31歳くらい、観たのは収蔵している近代美術館だったかもしれない。藤田と戦争とのかかわりに、その人生に興味をもつきっかけになった。とはいえ、彼の生涯を調べたり、随筆を読むわけでもなく時は過ぎ、3度目に彼の絵に遭遇したのは銀座のホワイトストーンギャラリーだ。私が絵を描き始める前だから50歳くらいの時かと思う。偶然入ったそのギャラリーで「藤田嗣治」特集をしていて、あの白い色と筆による繊細かつ確かな線描に感動したのを憶えている。画廊の方から、国際絵画市場での藤田の価値、そして今後さらにそれが確実に高まっていくこと(値段があがるということ)を教えられた。そのなかには手元に置きたいと思う小品もあり、この時ほどお金持ちになりたいと思ったことはない。感動した割にはまたすっかり忘れて、やれダリだの、ミュシャだのと押し寄せてくる美術展に紛れているうちに数年は瞬く間に過ぎる。藤田の「時代」が私にとって本当に身近になるきっかけは音楽だった。たまたま(でないかもしれないが)フランスベルエポックの歌を学ぶことになり、藤田の生きた場所、時代を感じ取る必要に迫られることになったのである。長い時間がかかったものだとつくづく思う。学生時代から好きだった、ユトリロ、ロートレック、ピカソ、そしてダリ、マチス。すべて絡み合って、またその時代の音楽家や作家も含めて混然となった空気のようなものが、一人でいるときの自分にまとわりつくようだ。長い熟成期間を経て心にしみいってくる芸術とそれを生んだ人々。そして、歌うことや絵を描くことでかれらの行為を追体験しているという歓び…。私自身が「失われた時を求めて」いるようだ。

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