ソリストの手

昨日は佐藤久哉さんのヴァイオリンリサイタルだった。ブラームスのヴァイオリンソナタ全曲演奏
会。2番、1番、休憩を挟んで3番。そして、アンコールはパガニーニのカンタービレとサラサーテ
のツィゴイネルワイゼン。進みゆくほどに魔法が少しずつ、聴く者にかけられていくような演奏で、
ツィゴイネルワイゼンのさらりとした終わり方が逆に凄みを感じさせた。
会場は松濤の小さな音楽ホール。Ⅼ字をさかさまにした形で、演奏者の左側にも客席がある。
私はちょうどその左側の前から2列目、佐藤さんのすぐ近くにすわっていたため、弓を操る右手の
動きをずっと見ていた。手首から先は、柔らかく、繊細で、まるでそれ自体が楽しく動き回る生き
物のようだった。弓と一体になって、時に大きな弧を描き、時に微動だにせず制止する腕も素晴ら
しかった。
しかし、ここで伝えたいのは演奏後に握手した時の佐藤さんの手である。
最新のCDを購入してサインをしてもらった後、私が手を差し出すと、佐藤さんはサインペンを左
手に持ち替えて、握手してくれた。その手は、どちらかといえば小柄ともいえる体格に反して大
きく、とても暖かく、うまく発酵したパン生地のようにふっくらしっとりした、素晴らしい手だ。
とても大切にされている手。そう思った。

なぜか人の手の感触が好きで、演奏会のあとのサイン会ではよく握手してもらう。
天満敦子さん、小山実稚恵さん…特に印象に残っいるのはのキット・アームストロングの手。
佇まいそのものが透明感にあふれていて、こちらがドキドキしてしまうような人。そしてその手
は、骨ばったところなどまるでない、かといってふわふわした、というのでもない。ピアノを弾
かないでいる時はただそっと静かに存在している、そう感じさせる手だった。

どの手もその所有者から特別に愛されている、そんな感じがする。握手を求めると顔がやわらぎ、
人によっては少し恥じらうような表情になり、目がきらきらと輝く。その人の大切なものを発見
された驚きとか歓び、その現れではないかとわたしは思う。

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